2020.09.12
さぬきうどんの由来とブーム
以前のメルマガでブームについてのお話をなにかの機会で…と書かせていただきました。
私が感じている由来とブームについて書かせて頂きます。
(あくまでも私の考えを書かせて頂きますので内容に相違がある部分がございまいたらご了承願います)
1)空海(弘法大師)が唐より持ち帰った小麦の食べ方が進化したものとされている…
確たる証拠はありませんが…
(香川県の善通寺市が空海さんの出生地であるため)
お菓子(うどん)
「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「食昆飩」(コントン)と書き、
またこれを「?飩」(ウントン、コントン)とも書き、
これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、
これが「饂飩」(ウドン)となったという…
原料である塩と小麦は恵まれた讃岐の気候風土により豊富で良質
小麦・・・
日照時間、小雨、土壌(花崗岩地帯)
水捌けがよく日照時間が長く雨が少なくて小麦の生育にたいへん向いていた。
外国から麦が輸入されるまで「三県物」
(香川、岡山、兵庫)と称され日本で高い評価を得ていた
塩・・・
昭和20年代まで生産量全国トップクラスであった入浜式の広大な塩田
醤油となる原料でもある(小麦、塩)
出汁となるいりこ(煮干し、シイタケ)
素材に恵まれていたうどんは必然的に食される土地柄であった
2)江戸時代
金毘羅絵巻に何軒かのうどん屋が載っている
まだまだ、金毘羅詣(お伊勢参りと並び称される)で贅沢品
やはり伊勢にも伊勢うどんが存在
当時の庶民が一生に一度行けるかどうかと言われていた「お伊勢参り」「こんぴら参り」においてうどんが贅沢品であったと思われます。
「一生に一度はこんぴらさん」のGoogle検索結果
3)1960年代 第一次うどんブーム
じつは当時の県知事そして後の総理大臣による町おこし
小麦の輸入の始まりが外麦から小麦農家を守るため製麺所である当店はキャラバン隊や当時大型スーパーの店舗展開が始まった頃(ダイエー、ヨーカドー、ジャスコ、ニチイ等)での物産展にうちの父は招集をかけられてよく行っていた。
4)1988年 第二次うどんブーム
瀬戸大橋開通
過去にない1000万人を超える来県者による口コミ
銘産品、お土産として全国的に認知
香川県に大型テーマパーク が開園
高速道路が急ピッチに開通
5)1993年に田尾和俊氏によるうどん店を巡る単行本「恐るべきさぬきうどん」発刊
6)1990年代後半 第三次うどんブームはこのあたりからですが第四次うどんブームは区別がわかりにくいです。
Windows95などのPC関連をはじめ携帯などの情報発信ツールの発展により「恐るべきさぬきうどん」のツアーをネット上に公開する人たちが増えてきた
(メーリングリストとかオフ会など)
7)2000年頃 全国ネットのテレビでしばしば取り扱われるようになる
8)2002年 東京にさぬきスタイルのセルフのうどん屋が出店したことが話題となる
9)2006年 映画「UDON」で若年層中心から老若男女を問わずブレーク
10)2010年 高速道路通行料金の土・日曜、祝日¥1000
11)2011年(平成23年)10月11日、県観光協会の特設サイトが開設された。
内容は、県名を「うどん県」
2004年くらいからこの辺がピークで小麦粉の使用量もこの頃がマックスです。
私、個人的にうどん屋目線では第3次ブームは映画「UDON」まで続いていたような気がします。
第三次ブームの時のネタ(恐るべきさぬきうどん)を題材にした映画でした。
映画以降、それまでお客様の系統が若者中心だったのが、「老人会」「ママ友」親子三代でミニバンで来られる「ファミリー層」まで来県してくれるきっかけとなったと思われます。
まだまだ、香川県がどこにあるか知らない人が多かったのですが、この映画を機に全国的に香川県がどこにあるかを知ってくれたような気がします。
その後、ガクンと落ちることなく高速道路¥1000と「うどん県」の効果があい重なり
この時にまた、新しいお客様が増えましたので、この頃が定着というか4次ブームというか、三次ブーム以降は認知度が下がることなく続いているので定着したのかなと…
弊社も2002年から全国の百貨店などに声をかけられ物産展等に出店させて頂くようになった。
2011年以降お客様に「うどん県!」と呼ばるようになり本当に「うどんの町」として認められたような気がしました。
私にとって最大のブームは瀬戸大橋の時で学生時代を関西で過ごしておりましたが「さぬきうどん」という言葉を知らない人も多かったです。
しかし、瀬戸大橋が完成した時に町がガラッと変わりました。
田舎町に毎日、県外のクルマや観光バスが何台も行き来し、オシャレなお店が次から次へとロードサイドにでき大きなテーマパークまででき、うちの前の道をピストンバスが引っ切りなしに往復を繰り返し、来県者、年間1000万人突破!未だに最高来県人数で町の雰囲気も一気に変わってしまいました。
それまで、香川県のお土産、名物は名菓と言われるお菓子が一番人気でしたが、瀬戸大橋開通を機にうどんがよく売れるようになり、鉄道会社、バス会社さんなどの大きな企業さんがうどん業界に進出し始めだしました。
弊社も高速道路のサービスエリアや空港に置いていただけるようになったのもその頃です。
年末のお歳暮はうどんを使ってくれることもありましたが、ここ香川県の夏のお中元はそうめん、ビールが1番人気で夏はうどんが売れない時代でしたが、その頃から、お中元もうどんを使っていただけるようになり夏は比較的閑散期でしたが夏も、お盆の帰省、観光土産に忙しくなってきました。
本当に瀬戸大橋開通以降、納品先が増えてそれに対応するために朝早くから夜遅くまで年中無休状態が何年も続いたことを思い出し当時を懐かしく思います。
これから、今までのブーム超えるような現象は起きるのでしょうか…
国内では「さぬきうどん」を知らない人はいなくなりました。
今はネットの時代でPCやスマホは世界と繋がっておりますので…
世界中で「UDON」を”バズ”らすことができればいいですね\(^o^)/